2019年8月25日に開催される相模国分寺跡地盆踊り大会
海老名の国分北に緑は触れる広場があります。この地では毎年盆踊りが開催され今年も8月25日に催されます。
この場所こそが国分寺七重の塔があったとされる国分寺跡地なのです。海老名に残る伝説「尼の泣き水」という昔話をご存知でしょうか?
国分寺を建立の成り立ち
国分寺七重の塔は天平13年(1278年)に、聖武天皇が国ごとに国分寺を立てるよう命じました。
相模の国においては海老名が水源も良く、住みよく、良い土地とされていたため、海老名に国分寺が建立されました。
その近くには国分尼寺も建てられたのです。
尼僧と漁師の許されぬ恋
国分寺の下を流れる相模川で漁をしていた漁師がいました。漁師は、いつしか国分尼寺の尼と恋に落ちました。許されない恋…。二人は人目から隠れて逢瀬を重ねていました。ある日、漁師は尼に「国分寺か眩しすぎて魚が採れなくなってしまった」と愚痴をこぼしました。尼にはどうする事も出来ませんでした。
愛する人のために、自分は何も出来ない…どうしたら愛する人のためになるだろう?尼は悩み苦しみました。
燃える恋の炎が寺を焼き尽くす
とある夜、国分寺から火の手が上がりました。豪華絢爛な国分寺は一晩で灰と化しました。
魚が採れない漁師を想うあまりに尼が国分寺に火を放ったのです。愛する人を苦しめる物など燃えてなくなってしまえというかのように。
尼の苦しみ悲しみが湧き水に
尼は捕らえられました。愛する人のためにした事とはいえ、尼の罪は重罪です。尼は丘の上に生き埋めにされ、のこぎり引きの刑となりました。
その後、不思議なことに、丘から水が湧き出しました。人々は口々に尼が罪を悔いて涙を流しているのだと語り、湧き水を「尼の泣き水」と呼び、尼のために供養塔を建てたのでした。
現在は湧き水は枯れており、供養塔のみが残っていますが、ビナウォークの公園には立派な七重の塔がそびえ立っています。